「お嬢さん、私の妻になれば父親の借金をチャラにしてあげるよ」
醜くい年寄りの金貸しは、不意にそんな事を言いました。
「お嬢さん、お父さんがお金を返してくれないんだ、困っているのは私なんだよ」
うつむいている娘に対し、金貸しは「わかりました、賭けをしましょう。私が勝ったら君は僕の妻、負けたら借金も妻の話もなし。ただし、賭けに参加しなければ今すぐ借金を返して欲しい」
【ルール】
金貸しは、地面に転がっている白と黒の小石をそれぞれ一つ皮袋入れる。
娘は、袋の中から石を一つ取り出す。白が出たら、借金はチャラ、娘には手を出さない。
黒が出たら、借金はチャラ、娘は金貸しの妻。
この賭けに参加しなければ、今すぐ借金を返す。
酷い話ですよね、借金が返せないから困っているし、こんな人の妻になんて絶対になりたくない・・・
しかも、お嬢さんは見てしまいました、金貸しが黒い石を2つ入れるところを・・・
どちらの石を取り出しても、金貸しの妻になってしまう。
さて、あなたがこのお嬢さんだったら、どうしますか?
小石を取ることを拒む・・・許してくれないだろうな・・・
金貸しが黒い石を2つ入れたことを暴く・・・ケンカになるだろうな・・・
私が犠牲になれば、お父さんは救われる・・・何でこんなに悲しい人生なの・・・
常識的に考えたら、どれも役に立ちそうにありません。
さて、このお嬢さんは、醜い年寄りの餌食となってしまうのか?
こんな例題から始まる「水平思考の世界」は視点を変えるものの見方を教えてくれます。
ちなみに、見事な方法で、お嬢さんは自由を手に入れ借金をチャラにしました。
お嬢さんは、袋から小石を取り出しますが、すぐに捨ててしまいます。
同じような石がそこいらにあるので見つけることができず、黒かったか白かったかわかりません。
そこでお嬢さんは金貸しに対して、「ゴメンナサイ、石を落としてしまってわからなくなってしまいました。でも、袋に残っている石を見れば、私が取った石が白か黒かわかるはずです。
袋の中を見せてください」
金貸しは、自分が不正をしたとは言えず、黒い石を取り出し、無事借金はチャラ、お嬢さんは自由の身となったのです。
追い詰められてのこの機転、類稀なるこの視点。
常識という論理的思考を垂直思考というならば、あらゆる可能性を探り逆境を打破する創造的思考が水平思考なのです。
エドワード・デボノ氏、只者ではありません。